卒業式でプリキュアを踊り社会に出て生きること PART①
3月15日の卒業式でぼくはプリキュアを踊り晴れて芸大生を卒業しました。
動画の22分のところからです。
2013年度京都造形芸術大学 大学院・芸術学部 卒業式 - YouTube
何はともあれこうして卒業して今また何かの境目にいるのでパート①として書いている次第であります。このタイトルの記事はまた何か境目に到達した時に更新します。
資本主義の仕組みに弱いわたし
芸大で学んでいる間は、芸術全般というのではなく「演劇」のみをやっていました。
演劇の創作の上で社会・経済的な知識の必要性を感じ現在起きていることはインプットするようにアンテナを張っていたものの実体験としては皆無に等しいですよね。
殊にお金に関することは本当に卒業するまで基本的に援助してもらっていたので
その価値観には卒業後戸惑うことばかりです。
お金について書くのはまた別の機会にしますが、どう転んでも
「やりがい」
あるいは
「ナリワイ」
という中で生きていかなければ生きていけないと感じています。
我慢は人生において猛毒
卒業前は、4年間で培ってきた生き方全てを隠し封印し我慢し
新たなステージに1年間、身を置く予定だったわたしです。
しかし、それがどれだけ己の精神に毒だったのか気が付かず命の灯火を消しかけてしまうところまでたったひと月半で陥ってしまいました。
世の中には、「出来る人がいれば出来ない人もいる」
こんな簡単な言葉を忘れていてわたしは明らかに後者であるにも関わらず忘れていて
もちろんこれを打開するということは経済的困難を受け入れるしかなくなるのだけれど
出来ないことはやめてしまえばいいのであって、何も我慢して続ける必要はないです。
楽しいと思う方向へ行けば同じ労働も新しい目線で見えてくる。
我慢の先は麻痺です。
精神が麻痺してしまって本人の正常な感覚は失われてしまいます。
我慢なんてやめて「楽」な方向へシフトチェンジしてみては?
人の精神は環境によってこそ変わる
わたしは今、母と妹が住む神戸の家に住んでいます。
ここは都会だー。人も多くてオシャンティーなピーポーも溢れかえっております。
世間的にみれば。
最近、労働で週末は毎回違う田舎の現場に行きます。
その田舎に向かう電車の中で「なぜこんな場所で生きていけるんだい、あーはん?」
とかずーーーっと考えていたのです。
父が住む実家も結構な田舎でなんもないところですが
つまり田舎と都会の違いとは何かという疑問をそれを子供の頃から行来していた自分は感じていました。ちなみに子供の頃から東京に行きたいと思っている自分です。
22年生きて見つけた答えは、
そこに多様なカルチャーが存在するか
でした。
人によっては、その土地が好きでなどあると思います。
だけど、自分の場合はこれで間違いないです。
だから、この神戸のまちはわたしにとっては田舎です。
だから、出ていきます。
10月に京都に返り咲きます。
今まで歩んだことのない人生を。
さいごに
あまり芸大感はでておりませんが、パート①はおわりです
パート②に更新されるのはストレスでハゲそうな現状が解決してからですかねwww
それまでは日々のコト書いたり別ブログ作って書いたりしようと思います。
プラン「綾波レイ」を持って生きるということ
「私が死んでも替わりは居るもの」
らしいというのもエヴァ全然しらないんだものww
さて、自分はプラン零と名付けようと考えているのですが、日本人の誇れる一つの生き方に真直に、将来に向かって今の時間を投資するという方法があります。
高度経済成長期の生き方といってもいい。もちろん現代にも多くいる。
しかしながら、それが現代における最適な生き方であるかというと正しくもあり間違いでもある。
我々の数世代上の、言うなればそれはジョナサンと承太郎の世代差、そこまではいかへんかwww
とにかく急速発展するために必要だった考え方であり、それも100年の歴史があるかないかであり、それをテンプレート化している状態はおかしい。
その今までのテンプレートは、現代の若者の価値観から外れているわけで、多様化する世界観には合わないんじゃないかな??
で、プラン零の話
既存の構築方法でいったところで
会社に依存したところで
永遠にそれが続くとは限らない
終身雇用制は崩壊していっているのだから
また、自分の分野で言っても同じことが言える
芸術家とかいうものは他のものに盲目で、己の手中の範囲しか見えていない
もちろん自分自身も同じように言えると思う
経営も労働も活動も芸術も結婚もひとつのプランを見るから簡単に崩壊する。
ましてや、この世の中で一点集中型の成功は最後に「運」を持っていなければ行き着けないのではないかと思う。なんにでも「運」は必要だけど。
だから、
・収入源を複数化
・活動の幅を複数化
する必要があるんじゃないかと
それがプランを複数持つということ
しかし、できれば自分に優しくあってほしい
それで、プラン零
自分に優しい逃げ道を作って!!
でも、ただ逃げるだけではいけない。
その反れた道が自身の望みに結合するのかどうかを考えてください。
自分に優しいは、自分に甘いとは大きく異なると思うから。
弱者のかちかた
さて、カードの請求書が来ていたがとりあえず放置のルル山です。
そういえば、俺2、3日ケータイ止められそう。
今日は、サイコーの風景を目撃
走る女性→揺れるぱいおつ→ジャスティス
あざっす!!
最近、ツイッターで、ひきこもりとかニートとか起業家とか活動家とか色々ふぉろーしておりまして静かな私のツイッターは遡るのが大変です。
で、ひとつだけさっき気がついたことがあって
「あ、こうなりたくはないな」
こうなってしまう可能性を持っているということ
だから俺はいつもの反面教師によって乗り越えようと考えている。
単純に演劇を今の俺から抜くとコレなわけですよね。
それって自身の演劇の重要性も知ったし、逆に演劇以外でも探せるとも思った。
過去の結果というものは大きく人に自信を持たせたりするもので、経験は考え方を作り、人生を創造する。
といっても、とくにこれといった結果があるわけではないワタクシめルル山でございますのですが
経験と知識にしがみついていてはいけない
とご飯を食べながら思いました。
つまり自身の現在の価値観を簡単に当然にしてはいけない
多様性の中で生きているけどそれでも一般的な価値観が染み付いているわけで
悲しきかなそれを消すことは出来ない
ならば、一度落としこんで浸透させて絞り出していけばいい。
作品作りと人生は同じですな。ほんとに?
時間、計画、雨あられ
今日も元気なひきこもり山!
明後日から始まる新しいバイトに向けて勉強してたりいなかったりです。
先日から本日にかけて、少なくとも9月末までの動きを完全に決めきりまして、何が何でもやるしかないといった状況に自らを追い込みました。
演劇の領域から、学生の身から、京都から、あらゆる必要な者たちから隔離されて気付いたことは多かった。
なぜそれでもなお演劇なのか
演劇といってもどうしたいのか
自分の立場や社会的地位はどこか
どう生きていきたいのか
あるいは、どう生きていかないと死んでしまうのか
何があれば今を生きれるのか
どうしてこんなに自身の世界は狭いのか
愛の先になにがあるのおおおおおおおおおおおおおお?
などなど
結局のところが、俺は人の下で労働するのではなく、人と平等な立場で作り上げていきたいのだなという。
で、演劇からは抜けれそうにないし、抜けたら生きてる意味なくなっちゃうなって感じで。
9月末とは言ったものの、10月から3月までもすでに決まったようなもの
あとは全て人を集めていきます。
大事な人に自分から範囲を広めることを勧められましたが、
僕は信頼と優しさを持ち確実に一心不乱につくりたい。
自身の範囲ではなく領域は広めます。その準備も万全。
あれ?サイコーじゃない?
全ては、その場に着地しないとわかりません。
働くって何?どういう事?
友人の方が明らかに多いツイッターで晒すのは恥ずかしいが、とにかく、それ捨てます笑
働くってなんだろうっていうのは誰でも考えますよね。
でも、僕はこれまであまり考えなくても生きていける人生を送ってきました。
それだけに学生という立場が終わった2014年4月からただただそれに悩まされる事に。
そもそも自分は、社会には適応していません。
だからこそ何かになりたくって誰かになりたくって演劇というものを始めました、たぶん。
ま、正確には偶然大学受かったからですけど^^;
大学に入り人生で初めて真剣にどこまでもやれる・やりたいことを見つけたんですね。
そうして4年のハッピーライフを過ごし外に出た時、地獄に落ちた。
生きてる意味ってなんだろうかってなった。
働きたくないというわけではない。
やってみたい仕事はある。
ただそれすらも違和感を感じる。
つまりそれを永遠とやっていていいのか?っていうこと。
人間の心なんて移ろいやすいのになぜ一つだけの人生を歩まなければいけないのか。
いや、違いますね。
なんで、今までに出来上がってきたものをやるの?
なんで、誰かの言いなりになるの?
これが本心。
で、自身の演劇での考え方もこんな感じで
大抵の作品が面白くないと思うわけです。
そう、だから簡単な話が「自分で始めたらいいんだ」って思った。
どんな風に動けばいいかはわからない。
一人で思考していても始まらない。
今年は、多くの人と居場所を見つけたい。
今はただ逃げれるという事だけが希望です。
それがあるから今は耐えられる。
あれ?もっと働くことについて書くつもりだったのに笑