芸大卒のわたし劇場

2014年に芸大を卒業した男のお話

プラン「綾波レイ」を持って生きるということ

「私が死んでも替わりは居るもの」

 

綾波レイは死んでも第二、第三の綾波レイがいるらしいです。

らしいというのもエヴァ全然しらないんだものww

 

 

さて、自分はプラン零と名付けようと考えているのですが、日本人の誇れる一つの生き方に真直に、将来に向かって今の時間を投資するという方法があります。

高度経済成長期の生き方といってもいい。もちろん現代にも多くいる。

しかしながら、それが現代における最適な生き方であるかというと正しくもあり間違いでもある。

我々の数世代上の、言うなればそれはジョナサンと承太郎の世代差、そこまではいかへんかwww

とにかく急速発展するために必要だった考え方であり、それも100年の歴史があるかないかであり、それをテンプレート化している状態はおかしい。

その今までのテンプレートは、現代の若者の価値観から外れているわけで、多様化する世界観には合わないんじゃないかな??

 

で、プラン零の話

 

既存の構築方法でいったところで

会社に依存したところで

 

永遠にそれが続くとは限らない

終身雇用制は崩壊していっているのだから

 

また、自分の分野で言っても同じことが言える

芸術家とかいうものは他のものに盲目で、己の手中の範囲しか見えていない

もちろん自分自身も同じように言えると思う

 

経営も労働も活動も芸術も結婚もひとつのプランを見るから簡単に崩壊する。

ましてや、この世の中で一点集中型の成功は最後に「運」を持っていなければ行き着けないのではないかと思う。なんにでも「運」は必要だけど。

 

だから、

・収入源を複数

・活動の幅を複数

する必要があるんじゃないかと

 

それがプランを複数持つということ

 

しかし、できれば自分に優しくあってほしい

それで、プラン零

 

自分に優しい逃げ道を作って!!

 

でも、ただ逃げるだけではいけない。

その反れた道が自身の望みに結合するのかどうかを考えてください。

 

自分に優しいは、自分に甘いとは大きく異なると思うから。